「自分は平均以上」と思っている人が93%!? 人はなぜ、自分を高く見積もるのか。
どうも皆様MSと申します。
今回はですねー。
少し面白い話です。
ある研究で、参加者の大多数が、
「自分の運転は平均以上である」
と考えていたのです。
この研究結果を知ったとき、
私はとても興味を引かれました。
なぜなら、私自身も自分の運転は
平均以上だと思っているからです(笑)
ただ、最初に少しだけ説明しておくと、
この研究は1981年に行われた古いもので、
参加者の数も多くありません。
対象者もアメリカとスウェーデンの
学生に限られていました。
そのため、この結果をそのまま現在の
日本人にも当てはめられるわけではありません。
ところが2023年、この研究を大規模に
再現した調査が行われました。
対象者は1,203人。
学生に限らない、1981年の研究より幅広い
サンプルを対象とした調査です。
その結果、今回も多くの参加者が、
自分の運転技術や安全性を
「平均的なドライバーより上」と評価しました。
つまり、1981年の小規模な研究で見られた、
「人は自分を平均以上に評価しやすい」
という傾向が、より大規模な調査でも
改めて確認されたのです。
どうやら私たちは、自分の能力を評価するとき、
無意識のうちに少し甘くなりやすいようです。
では、なぜ私たちは自分を「平均以上」だと
思ってしまうのでしょうか。
私自身のことも振り返りながら、
その理由を考えてみることにしました。
この記事を読むメリット
93%という数字が、どんな条件で
出たものなのかが分かります。
なぜ人は自分を高く見積もるのか、
その理由が5つに分けて分かります。
自分を低く見積もってしまう場面も
あることが分かります。
「勘違い」が挑戦の燃料になる理由が分かります。
自信と過信の境目が、どこにあるのかが分かります。
読んだ後、どうなるか
まず、自分の中にある根拠のない自信を、
責めなくてよくなります。
それは弱さでも、傲慢さでもなく、
脳が自然にやっていることだからです。
そして、失敗したときの考え方が変わります。
環境のせいだけにすると、次も運任せになる。
自分だけを責めると、心が折れてしまう。
どちらにも寄りきらず、
両方を見られるようになります。
人からのアドバイスも、少し違って聞こえます。
受け入れるかどうかを決める前に、
一度立ち止まれるようになります。
自信は、持っていていい。
ただ、疑える余地だけは残しておく。
その距離感が、読み終わる頃には
つかめているはずです。
それでは、いきましょーー!
93%が「自分は平均以上」と答えた研究
先ほど簡単に触れましたが
ここで改めて紹介します。
「あなたの運転技術は、
平均より上だと思いますか?」
こう聞かれたら、「まあ、平均よりは少し上かな」
と答える人も多いのではないでしょうか。
この質問で有名なのが、
心理学者オラ・スヴェンソン
(Ola Svenson)が1981年に行った研究です。
スヴェンソンは、アメリカとスウェーデンの
参加者に、自分の運転技術や安全性が、
ほかの参加者と比べてどの位置にあると
思うかを尋ねました。
その結果、アメリカでは93%、
スウェーデンでは69%の人が、自分の運転技術を
「中央値より上」と評価しました。
安全性についても、アメリカでは88%、
スウェーデンでは77%が、自分は中央値より
安全だと考えていました。
国によって数字に差はあるものの、
多くの人が「自分はほかの人より運転がうまく、
安全である」と考えていたのです。
しかし、中央値より上に入れるのは、
本来なら全体の半分だけです。
それにもかかわらず、実際には
半数を大きく超える人が、
自分を上位半分に位置づけていました。
この傾向は、後の研究でも確認されています。
2023年、Lina Koppelらは1,203人を対象に、
スヴェンソンの研究を大規模に再現しました。
元の研究に近い方法に加え、
回答尺度を変えた場合にも同じ結果が
出るのかを検証しています。
その結果、質問の形式を変えても、
大多数の参加者が自分の運転技術と安全性を
「中央値より上」と評価しました。
スヴェンソンが発見した傾向は、
約40年後の研究でも再現されたのです。
このように、自分の能力や性質を
平均以上に評価しやすい傾向を、
心理学では「平均以上効果」と呼びます。
私たちは、自分のことを客観的に見ている
つもりでも、実際には少し高く評価している
ことがあります。
では、なぜ多くの人が「自分は平均より上だ」と
考えてしまうのでしょうか。
みていきましょう。
平均以上効果とは何か
この現象は、
心理学で「平均以上効果(Better-than-average effect)」
と呼ばれています。
簡単に言うと、
「自分は平均より優れている」と
思ってしまう心理です。
運転だけではありません。
仕事。
コミュニケーション能力。
誠実さ。
知性。
ユーモア。
人はさまざまな場面で、
自分を平均以上だと評価する傾向があります。
面白いですよね。
もちろん、本当に全員が平均以上
であることはありえません。
それでも、私たちの脳は自然と
そう考えてしまうのです。
なぜ人は自分を平均以上だと思うのか
では、なぜこれほど多くの人が、
自分を平均以上だと考えてしまうのでしょうか。
単純に「みんな自信過剰だから」で
終わる話ではありません。
そこには、自分を守ろうとする心の働きと、
平均という言葉の曖昧さ、
そして人間の脳が持つ判断の
クセが関係しています。
自分を少し良く見たい「自己高揚」
一つ目は、心理学でいう自己高揚です。
これは、自分の能力や性格を、
実際より少し好意的に捉えようとする
心の働きです。
例えば、多くの人は自分について、
「私は比較的まじめだ」
「人より常識がある」
「そこまで性格は悪くない」
と考えています。
反対に、
「私は平均より無責任だ」
「私は平均より思いやりがない」
「私は平均より性格が悪い」
と進んで考える人は、
それほど多くないと思います。
人は、自分自身と毎日
付き合いながら生きています。
その自分を常に否定的に
捉えていたら、心が疲れてしまいます。
そこで脳は、自尊心を守るために、
自分を少しだけ良い方向へ評価します。
実際、平均以上効果は、
本人にとって望ましい性質ほど起こりやすい
ことが示されています。
例えば「誠実」「親切」「有能」といった
好ましい特徴については、
自分を平均以上だと考えやすくなります。
つまり、これは単なる見栄ではありません。
自分には価値があると思いながら
生きるための、心の防御機能でもあるのです。
運転についても同じです。
「自分は危険なドライバーだ」と
認めることは、単に技術が低いと
認めるだけではありません。
「自分は判断力がない」
「周囲に迷惑をかける人間だ」
と感じることにもつながります。
そのため無意識に、自分を
「少なくとも平均以上」と
評価したくなるのです。
人によって「平均」の意味が違う
二つ目の理由は、平均という
言葉が意外と曖昧だからです。
本来、平均と比較するには、
全員を同じ基準で測る必要があります。
しかし日常生活では、「運転が上手い」
の基準は一つではありません。
ある人は、
「事故を起こさないこと」
を重視します。
別の人は、
「車庫入れが上手いこと」
を重視するかもしれません。
また別の人は、
「判断が速いこと」
「道をよく知っていること」
「周囲に気を配れること」
を運転の上手さだと考えるかもしれません。
そして人は、自分が得意な項目を、
評価基準として採用しやすいのです。
慎重な人は、
「運転は安全性が一番大切だ。
私は慎重だから平均以上だ」
と考えます。
運転操作に自信がある人は、
「多少スピードは出すけれど、
技術は高い。だから平均以上だ」
と考えます。
それぞれが、自分に有利な定義で
「上手な運転」を考えるため、
全員が平均以上だと思えてしまいます。
研究でも、評価する能力や
技術の意味が曖昧なほど、
人は自分に都合のよい基準を使い、
平均以上だと判断しやすくなることが
示されています。
反対に、基準を具体的にすると、
この効果は弱まりやすくなります。
例えば、
「あなたは平均より
仕事ができると思いますか?」
と聞かれたら、多くの人が
「はい」と答えます。
仕事ができるとは、速さなのか。
正確さなのか。
コミュニケーション能力なのか。
責任感なのか。
答える人が自由に決められるからです。
しかし、
「先月の売上額は同じ部署の中で
何位でしたか?」
と聞かれれば、曖昧さはなくなります。
数字で比較できるため、
自分に都合よく基準を変えることが難しくなります。
人が自分を平均以上だと思うのは、
平均を理解していないからというより、
自分と他人が別々の物差しで
測られているからでもあるのです。
実際のところ、自分のことは詳しく、他人のことはよく知らない
三つ目は、情報量の違いです。
私たちは、自分のことを非常に
よく知っています。
慎重に運転できた日。
危険を回避した経験。
長距離を無事に走った経験。
狭い道をうまく通れた経験。
こうした自分の成功は、
具体的に思い出せます。
一方で、比較対象となる「平均的な人」の
運転については、ほとんど知りません。
名前も顔もなく、どのように
運転しているかも分からない。
すると脳は、情報の少ない「平均的な人」を、
ぼんやりとした人物として作り上げます。
その人物より、自分のほうが優れているように
感じるのは不思議ではありません。
自分には成功した理由や事情があります。
失敗した時にも、
「今日は疲れていた」
「相手が急に飛び出してきた」
「道路が分かりにくかった」
と背景を説明できます。
しかし、他人が失敗した場面を見ると
「あの人は運転が下手だ」
と、その人自身の能力の問題として
捉えやすくなります。
自分の失敗には事情がある。
他人の失敗は実力である。
この見方の違いが、自分の評価を押し上げます。
記憶も自分に都合よく整理される
人間の記憶は、出来事をそのまま
保存する録画装置ではありません。
思い出すたびに、必要な部分が選ばれ、
再構成されます。
自分の運転を評価する時、無事に運転できた
何百回もの経験は思い出しやすいでしょう。
少し危なかった場面についても、
「結果的には事故にならなかった」
「ちゃんと反応できた」
と、成功に近い記憶として
整理されることがあります。
反対に、自分の未熟さをはっきり
示す経験は、忘れたり、重要性を
小さく捉えたりします。
スヴェンソン自身も、運転に関する否定的な
出来事が思い出されにくいことなど、
認知上の仕組みが結果に関係する
可能性を指摘しています。
もちろん、本人が意図的に事実をねじ曲げている
わけではありません。
脳が自然に情報を選別した結果、
「自分はそれなりに上手くやっている」
という物語が出来上がるのです。
自分を評価する時、最初から完全な公平さはそこにはない
私たちは、自分を客観的に評価している
つもりでも、実際には自分を評価する側と、
評価される側が同じです。
少し変な話ですが、
試験を受けた本人が、自分で採点基準を決め、
自分で点数を付けているようなものです。
自分に甘くなる余地がないほうが不思議です。
しかも、人は必ずしも、
「自分を高く評価しよう」
と意識しているわけではありません。
自分に有利な経験が先に思い浮かぶ。
自分に有利な基準を自然に選ぶ。
失敗には理由を付ける。
比較相手は曖昧に捉える。
こうした小さな偏りが積み重なった結果、
「自分は平均より少し上だろう」
という結論になります。
平均以上効果は、一つの原因だけで生じる
のではありません。
自己評価を守りたい動機と、
比較や判断の認知的な仕組みが組み合わさって
起こる現象だと考えられています。
だから93%という数字は、
一見すると笑ってしまうほど不思議です。
しかし、その背景を知ると、
少し見方が変わります。
人間は正確な測定器ではありません。
自分を守りながら、曖昧な情報を自分なりに
解釈して生きています。
「自分は平均以上」と思うのは、
一部の自信過剰な人だけの問題ではありません。
おそらく、私たちの誰もが持っている、
ごく自然な脳のクセなのです。
事実として人間はそう思っている?
この答えは概ねYESです。
社会心理学や行動経済学の数々の実験・調査で
繰り返し確認されている、人間の非常に
普遍的な心理傾向です。
この心理メカニズムについて、特に
知っておきたいのは、次の2点です。
「ほぼ全員」がこのバイアスを持っている
文化や年齢を問わず、人間であれば
無意識のうちに自分を「平均よりは少し上」と
評価するように脳が設計されています。
自尊心(プライド)を保ち、メンタルを守る
ための防御本能として機能しています。
「自分は平均以下だ」と常に思い続けると
精神的に消耗してしまうため、
脳が自動的に自分に都合の良いフィルターをかけています。
ただし「例外」となる状況がある
人間は基本そう思っていますが、
次のような場面では、この効果が弱まる
(または逆転する)ことが分かっています。
極端に難易度が高い作業のとき
(ダニング=クルーガー効果と関連して語られます)
例えば「今からお手玉を5個
同時にできますか?」や
「量子力学の計算ができますか?」のように、
誰が見ても明らかに難しい課題に対しては、
「自分は平均以下だ」と認識しやすくなります
(これを「平均以下効果」と呼びます)。
重度のうつ状態や
自己肯定感が極端に低下しているとき
認知の歪みにより、自分を過剰に低く
評価してしまう状態になります。
結論として
日常の判断、仕事、人間関係、
ビジネスマーケティングなどにおいては、
「人間は基本的に『自分は平均より少し優れている・正しい』
と思って生きている生き物だ」という前提で
考えていいのではないかと思っています。
勘違いは悪いことなのか?
話は次の段階に進みます。
ここまで読んで、こう思われたかもしれません。
「つまり、人間はみんな勘違いしている。」
そんな結論に聞こえるかもしれません。
では、この勘違いは悪いことなのでしょうか。
結論、私は必ずしもそうではないと
思っています。
むしろ、適度な勘違いには大きなメリットがあります。
それはなにか?
『挑戦できる。』です。
もし自分を100%客観的に評価できたら、
どうなるでしょうか。
「成功する確率は30%くらいかな。」
「自分にはまだ実力が足りない。」
そう考えて、多くの人は挑戦する前に
諦めてしまう可能性が高くなる。
しかし、
「自分なら意外とうまくいけるかもしれない。」
そう思える人は、一歩を踏み出せます。
起業。
転職。
資格試験。
スポーツ。
恋愛。
どんな挑戦も、最初は根拠のない自信から
始まることも少なくないのではないでしょうか。
人は、自分を少し高く評価するからこそ、
新しい世界へ飛び込めるのです。
失敗しても立ち直れる
人生では、失敗は避けられません。
仕事でミスをすることもあります。
投資で損をすることもあります。
挑戦した結果、うまくいかないこともあります。
そんな時、
「自分はダメな人間だ。」
と思ってしまえば、そこで終わりです。
一方で、
「今回は失敗した。でも自分なら次は改善できる。」
と思える人は、また立ち上がれます。
心理学では、このような前向きな
自己評価は、ストレスへの耐性や
精神的な回復力(レジリエンス)とも
関係すると考えられています。
つまり、少しの勘違いは、自分の心を守る
クッションにもなっているのです。
行動力につながる
考えてみれば、世の中で大きなことを
成し遂げた人も、最初から成功が
約束されていたわけではありません。
周囲から
「無理だ。」
「成功するわけがない。」
と言われながら挑戦した人も
数え切れないほどいると思います。
もし本人まで、
「確かに無理だな。」
と思っていたら、挑戦すら始まりません。
だからこそ、
少しだけ自分を信じること。
少しだけ「自分ならできる」と思うこと。
それはむしろ良いことです。
これは私の持論ですが、
大きな決断をするときに、人から
「やめておいたほうがいい。」
と言われて、
「そうか、やっぱりやめようかな。」
と思うくらいなら、私は最初から
やめておいた方がいいと思っています。
なぜなら、その程度の覚悟では、
途中で必ず心が折れるからです。
起業でも、副業でも、新しい挑戦でも、
うまくいく保証なんて全くありません。
むしろ、うまくいかないことの
ほうが多いでしょう。
そんな時、支えになるのは
自分の意志と、それをする理由です。
他人の言葉ではありません。
もちろん、それは傲慢になれという
意味ではありません。
失敗することもある。
遠回りすることもある。
それでも前に進み続けるためには、
ほんの少しの”勘違い”が必要なのです。
適度な勘違いは、人を行動させます。
行動するから経験が増える。
経験が増えるから成長する。
そして、その成長が、紆余曲折を経て
いつしか「勘違い」を
本当の実力へと変えていくものだと思います。
勘違いが大きくなると成長は止まる
一方で、その勘違いが
大きくなりすぎると、話は別です。
適度な自信は、人を成長させます。
しかし、自信が過信に変わった瞬間、
人は成長を止めてしまいます。
なぜなら、「自分は正しい」と思い込み、
自分を見直す必要がなくなるからです。
例えば、失敗しても、
「運が悪かった」
「相手が悪かった」
「環境が悪かった」
と考えてしまう。
もちろん、本当に環境が悪いこともあります。
タイミングが悪かった。
市場環境が変わった。
相手の判断に左右された。
自分ではどうにもできない外的要因は、
確かに存在します。
しかし、毎回そこで結論を出してしまう
人は危険です。
自分に原因がないと思っている限り、
改善する必要もありません。
その結果、同じ失敗を何度も
繰り返してしまいます。
私がおすすめしたいのは、
「自分に原因はなかったか?」
「環境に原因はなかったか?」
この両方を考えることです。
外的要因を冷静に認めながら、
「自分に改善できる点はなかっただろうか」
と考える。
そうすれば、次に成功する確率を
少しだけ上げられます。
環境だけを見る人は、運任せになり、
自分だけを責める人は、心が折れてしまいます。
だからこそ、両方を見る。
このバランスが、とても大切だと思っています。
また、過信していると、アドバイスを受けても、
「そんなことは知っている」
「自分のやり方が正しい」
と、聞く耳を持てなくなることがあります。
しかし、
知っていることと、できていることは違います。
そして、自分一人では見えない盲点は、
誰にでもあります。
だから私は、人からアドバイスを受けたとき、
「もし相手が正しいとしたら、
自分は何を見落としているだろう?」
と、一度考えるようにしています。
もちろん、すべてのアドバイスを
受け入れる必要はありません。
最終的に判断するのは自分です。
ただ、一度立ち止まって考える
習慣がある人は、少しずつ視野を広げていけます。
成長する人は、「自分は正しい」と
証明し続ける人ではありません。
「自分はもっと良くなれる」と
考え続けられる人なのだと思います。
失敗から学ばない。
人の意見にも耳を傾けない。
そういう人の成長は、
そこで止まってしまいます。
だから私は、自分を信じながらも、
自分を客観的に見られる人でありたいと思っています。
本当の自信は、自分を信じること。
過信は、自分を疑えなくなること。
この二つは、似ているようでまったく違います。
適度な勘違いは、
挑戦する勇気を与えてくれます。
しかし、
現実から目を背けてはいけません。
挑戦する勇気と、失敗から学ぶ謙虚さ。
その両方があって初めて、
人は成長し続けられるのではないでしょうか。
最後に
皆様ここまでお読み頂き
ありがとうございました。
基本みんな、自分は平均以上と
思っている研究から
勘違いは悪いことなのかを経て
挑戦についてまで話が
広がってしまいました。(笑)
今回はサラッと終わるつもり
だったのですが
筆が乗ったと表現するのが正しいの
でしょうか?(笑)
自信がなさすぎても前に進めない。
自信がありすぎても成長できない。
というように、やはりバランスに帰結
するんだなと感心しております。
何か少しでも皆様の参考になっていれば
嬉しく思います。
それではまた別の記事で!!
MS
あわせて読みたい
見る角度を変えると、同じ問題が違って見えてきます。課題解決に使える8つの視点をまとめた記事です。
参考文献
1. スヴェンソンの元研究
Svenson, O. (1981).
Are we all less risky and more skillful than our fellow drivers?
Acta Psychologica, 47(2), 143–148.
2. 2023年の再現研究
Koppel, L., Andersson, D., Tinghög, G., Västfjäll, D., & Feldman, G. (2023).
We are all less risky and more skillful than our fellow drivers: Successful replication and extension of Svenson (1981).
Meta-Psychology, 7.

